敬愛学園高校 教育基本方針
特色ある「敬愛学園教育」の創造をめざす
千葉敬愛学園の教育理念
本学園の教育は、建学の精神「敬天愛人」を究極の目標とする。
本学園の教職員は、建学の精神に基づき、次の諸点に留意して日常の
教育実践に全力を傾注する。
本学園の教職員は、建学の精神に基づき、次の諸点に留意して日常の
教育実践に全力を傾注する。
|
本校教育の基本方針
不易の「建学の精神」を生かす
21世紀は国際化・情報化が更に進展し、創造力豊かで個性的な人間が必要とされている時代です。「敬天愛人」を基本として人を思いやる「心」を育てる教育を確立することです。又、敬愛大学との高大連携を重視し、教育課程も柔軟性のある教育の実現を図りつつ、社会に役立つ人間の育成が重要です。 このために建学の精神である「敬天愛人」を教育の本旨に位置づけなければなりません。
敬愛学園高等学校教育目標
1 | 敬天愛人の精神に基づく「心の教育」に全力を注ぐ。 | 内省 |
=天地の大道を敬い、人の痛みのわかる人間の育成 | ||
2 | 「生きる力」の根源となる個性と能力を伸ばす教育をめざす | 自主 |
=人生を切り拓き、自己の能力を伸長する人間の育成 | ||
3 | 国際化・情報化社会に対応する教育をめざす | 理解 |
=豊かな人間性と社会性、国際社会に生きる自覚の育成 | ||
4 | スポーツ・部活動をとおして、丈夫な身体と健全な精神を育成する。 | 健康 |
=体力の維持向上と心身の健康の保持増進と育成 |
めざす学校(Only one)像
1 | 生徒と教職員が共に明るく | 「行動・実行する学校」 |
2 | 信頼と敬愛に結ばれた | 「互いに認め合う学校」 |
3 | 絆(和)と規律の保たれた | 「和やかな学校」 |
4 | 学ぶ場にふさわしい | 「環境を整えた学校」 |
5 | 日々研修に励み | 「探求する学校」 |
6 | 家庭・地域との連携を深め | 「地域に根ざし、信頼される学校」 |
めざす生徒像
自信と誇りのある敬愛学園高校生(愛校心)
千葉県で1番 挨拶をする学校をめざす |
1 | 礼儀正しく(挨拶の励行)、思いやりのある生徒 (内省・誠意) |
いじめは「しない」・「させない」・「見逃さない」 | |
2 | 自分の行動に責任を持てる生徒 (自主、創造) |
ルールとマナーを守る (規則と時間の厳守) | |
3 | 心身の健康と安全に注意し、体力の向上に励む生徒 (健康) |
早寝・早起き・朝ごはん (大きな声で校歌を歌う) | |
4 | 基礎学力を修め、主体的に学習する生徒 (家庭学習・自主) |
家庭学習の習慣を身につける (家庭学習の徹底) | |
5 | 奉仕、勤労をいとわぬ生徒 (勤労・責任・感謝) |
地域・校内美化に協力する (教室清掃の徹底) |
創立者のことば
学園創立者 長戸路政司 先生
生徒を教え子として聖愛する、世にこれほど尊い天職がまたとあろうか。
しかもこの聖愛心たるや「天」の信念より渾々として流れ出で汲めども尽きないならば、これに感激しない教え子はあろうか。先生方の敬愛に感激した生徒は、やがて生徒間に敬愛の念湧き出で、ここに校風春風のごとく漂い、言わず語らずのうちに生徒の品性人格はすくすくと天に向かって成長発育するに相違ない。ただ遺憾にたえないことは、吾人が天人に対する信念体得のまだ足らぬことである。吾人が旦夕の祈願はただここにあるのみである。
「敬愛読本」より
生徒を教え子として聖愛する、世にこれほど尊い天職がまたとあろうか。
しかもこの聖愛心たるや「天」の信念より渾々として流れ出で汲めども尽きないならば、これに感激しない教え子はあろうか。先生方の敬愛に感激した生徒は、やがて生徒間に敬愛の念湧き出で、ここに校風春風のごとく漂い、言わず語らずのうちに生徒の品性人格はすくすくと天に向かって成長発育するに相違ない。ただ遺憾にたえないことは、吾人が天人に対する信念体得のまだ足らぬことである。吾人が旦夕の祈願はただここにあるのみである。
「敬愛読本」より
野の花
第三代理事長 長戸路信行 先生
私は、わが子を敬し愛することを考えていただきたいと思います。
自分の子供を敬すると言うのは、どういうことかといぶかる方があるかもしれません。それはわが子を甘やかすことではありません。わが子が無限の可能性を秘めた神の子であることを自覚すること、「自分だけの」子ではないと知ることです。学校の先生についても同じことが言えます。この学校に入学した子供たちは、神から授けられた子供たちです。われわれ教員一同は、この神から授けられた子供たちを、敬し愛さなければなりません。もしこの子供たちの一人でも傷つけ、見放すことがあったら、私たちの罪は死に価します。このような覚悟でわたしたちは教育に当たっているのです。
(昭和53年9月)
私は、わが子を敬し愛することを考えていただきたいと思います。
自分の子供を敬すると言うのは、どういうことかといぶかる方があるかもしれません。それはわが子を甘やかすことではありません。わが子が無限の可能性を秘めた神の子であることを自覚すること、「自分だけの」子ではないと知ることです。学校の先生についても同じことが言えます。この学校に入学した子供たちは、神から授けられた子供たちです。われわれ教員一同は、この神から授けられた子供たちを、敬し愛さなければなりません。もしこの子供たちの一人でも傷つけ、見放すことがあったら、私たちの罪は死に価します。このような覚悟でわたしたちは教育に当たっているのです。
(昭和53年9月)
『師弟の敬愛』 | この幾百の女性徒、この幾百の男子生徒、これ皆偉大なる魂の持主である。吾人はこの点を衷心より敬せねばならぬ、愛さねばならぬ。 |
『敬愛読本』 | わが校は生徒の全人格、生徒の魂を敬愛する点おいて、天下第一等たらんことを希望し、主張し、期待している。知性と徳性を備え、心身共に健康な敬愛生をめざす。 |